ミュージック・ポートレイト「加山雄三×黒柳徹子 第1夜」 (その1)


参照:NHK Eテレ 毎週木曜日 23:00−23:45 2014年5月15日放送
http://www.nhk.or.jp/portrait/ 
 
 

 

 
エンターテインメントの世界で半世紀以上活躍する2人のレジェンド。
大切な音楽を持ち寄り語り合います。

黒柳徹子さん、80歳。
テレビ女優第1号として放送が始まった当初からキャリアをスタート。
61年間にわたって第一線で活躍を続けるテレビ界のスーパースターです。
その道のりには知られざる葛藤がありました。

加山雄三、77歳。
俳優、そしてシンガーソングライターの先駆けとして社会現象を起こした映画・音楽界の革命児。
今なお全速力で走り続けるまさに生きる伝説です。
栄光の先にあったのは地獄のような日々…
支えたのは昔からの仲間そして歌でした。


テレビ・映画・音楽界の歴史を築いてきた2人。
その歩みは日本の戦後史そのものでした。

そして人生の最後に聞きたい歌…
選んだのは同じ曲でした。
え〜!うそ〜!うそ本当に?
心に残る音楽を通して2つの人生を見つめます。

黒柳徹子さんは昭和8年東京・乃木坂で生まれました。



黒柳徹子 
『あのね、父と母が出会ったのは「第九」だったんです。』
加山雄三 
『ダイク?』
黒柳徹子
『このベートーベンの「第九」。』
加山雄三
『ああ、カーペンターじゃなくて。』
黒柳徹子
『カーペンターじゃなくてね、ベートーベンの「第九」ね。
それで父がその時今のN響のコンサートマスターをしていまして。
で母が音楽学校の生徒で。
当時は暮れに「第九」をやったんですって。』


徹子さんの父、守綱さんは若くから活躍していたバイオリニストでした。
母の朝さんは音楽学校の声楽科に通う学生。
音楽の道を歩んだ2人がコンサート会場で出会います。


黒柳徹子
『父が母をみつけて、仲良くなったみたい。
それで全部終わった日に
父が「お茶飲みに行かない?」って言ったらしいのよ。
そしたら母も「うん」って言って。
まだ生徒だからぼんやりしてて。
で乃木坂っていう所に行って。
こんなお皿の上にね、サクランボがいっぱいあったんだって。
父がね「サクランボ好き?」って言ったんだって。
そしたら母がね「大好き」って言いながらね
「こんなおいしいもの誰でも好きさ」と思ったんだって。
(笑い)
母がおかしいんだけど母がそう言うんだけど。
それで食べてるうちに話ししてるうちに時間がなくなって
「もうおうちへ帰れないよ」って父が言って。
なんと…その喫茶店は、父のアパートの下にあったんですって
 
「じゃあ僕んとこ来る?」みたいな。
それで結婚の話になったらしいのよ。』


加山雄三  
『すごい早いですね。』
黒柳徹子 
『早いですよ当時としては。』
加山雄三
『メッチャ早いですね。』

黒柳徹子
『うん情熱的なの。
それで私がそれから、すぐ生まれたもんですから
「ザーネルザーネルビンデルビーデル」ってさ
ドイツ語で母は私の事を育てたもんですから…
私は、「第九」を最初に聴いて、ドイツ語でも覚えた。
この「第九」はもうすごくやっぱり聴くと何か懐かしい思いがします。』


加山雄三  
『もうあれだな。
生まれる前から両親が聴いてるから
DNAの中にもう音楽の記憶があるんだろうね。』


黒柳徹子
『おなかにいた時から母もずっと歌ってたでしょうからね。
鼻歌か何かで。
父はハンサム母きれい。
だからよその方がうちへいらっしゃると
「あら、お父様もお母様もおきれいなのにねえ」って私を見るのよ。』
加山雄三 
『それどういう事?』
黒柳徹子
『失礼でしょう!』
加山雄三
『きれいじゃないですか。』


黒柳徹子
『いやいや小さい時ね。
すると母がね「でも素直なだけが取り柄ですの」って言ったから
私は素直が一番いいんだなってずっと思ってたの長い事。
で顔がどうとかなんて事は全然思わなかったの。
素直ですから私ね。』
(笑う)

子どもの頃から常識にとらわれない行動や
特徴的な話し方をしていた徹子さん。
「変わった子だ」と言われる事もありました。


そんな徹子さんの人柄を、母の朝さんは大切に育てます。
徹子さんは活発で個性あふれる少女に成長していきました。


(続く)



ミュージック・ポートレイト「加山雄三×黒柳徹子 第1夜」 (その2)